破産者は昭和61年に結婚し、翌年長男が生まれました。
結婚した当初、夫の給料はとても安く、その給料の中でやりくりをし、ぎりぎりの生活をしていました。二人とも預金がなかったので、ショッピング系のクレジットカードA社から生活費として50万円の借り入れをしました。このお金は生活費として使いました。ただ、返済は子供が小さいこともあり自分では働けず、夫の給料から返済をし、生活費が足りなくなっては、また借り入れをして、生活費に充てました。夫には借金のことを打ち明けられませんでした。
平成元年に長女を出産し、その7年後には二女を出産しました。その間、クレジットカードB社からも借り入れをし、苦しいながらも返済を続けました。また、二女が生まれた翌年には夫名義で新居を購入しました。
平成14年に、夫が体調を崩して入院しました。また破産者も子宮のポリープが発見されたために入院しました。そして悪いことは重なるもので、二女がおたふく風邪にかかり、髄膜炎の疑いから2週間も入院しました。入院費用は、自己負担分を除いて後で返ってきますが、退院時には全額支払わなければなりません。破産者のうちには入院費用を払うための蓄えがなく、またさらにクレジットカードA社とB社から借り入れをしました。この支払いが滞るようになると今度は消費者金融のC社から50万円、新たな借り入れをしました。
平成14年8月には消費者金融D社から50万円の借り入れをして最初に借りたC社の負債を一括で返済しました。そして、D社からは、生活費が足りないときに「枠が広がりました」という連絡が入り、そのたびに枠を広げていきました。平成16年にはD社からの借り入れは200万円の枠にまでなってしまいました。
冷静に考えれば、枠が広がれば当然返済額も増えますが、現実に目の前にある支払いを何とかしなければならず、毎日毎日返済のことで頭がいっぱいになっていて、冷静に判断することができませんでした。その結果、D社への返済だけで月々64,000円もの返済額になってしまいました。
平成15年には長男の進学もあり、返済が進むどころか、出費がかさみ、借金が増える一方でした。そこで、同年6月に母が保証人になってもらい、別の消費者金融E社から110万円を借り入れ、クレジットカードA社とB社の負債をすべて完済しました。
破産者もようやく働けるようになり、残ったD社への返済64,000円とE社への返済3万円と合わせて9万4000円を破産者の給料と夫の給料から捻出して返済してきました。しかし、ちょうどこの頃、夫が交通事故を起こし、その修理代など諸々の出費で夫のお給料から借金の返済原資を捻出することができなくなりました。生活も、子供の成長とともに徐々に苦しくなり、平成16年6月には生活費と返済のために消費者金融のF社からさらに50万円を借り入れて、平成17年8月に消費者金融のG社から30万円、平成18年2月にH社から10万円借り入れています。
借金はどんどん膨れ上がり、このままでは家庭崩壊になってしまうのではと恐ろしくなり、子供たちを悲しませたくない一心で、夫にすべて打ち明けました。
E社は母が保証人であったために、夫が銀行から借り入れて母に援助するという形で返済しています。家族にも迷惑をかけてしまい、申し訳なく思っています。夫の勧めもあって弁護士に相談したところ、破産の手続きをとることになりました。
夫はこれまで破産者が借りてきた負債を知り、涙を流して謝ってくれたそうです。破産申立手続きにも二人一緒に来ていました。
破産者はもっと早く夫に相談することができていたら、これほどまで借金が膨らむことはなかったと思いました。